とらわれている女子多数! なかなか素を出せないと嘆く「ありのまま」の呪縛
決して人が嫌いなわけではないのに、つい他人と接するときに気を遣ってしまい「自分を出せない」と悩んでしまうことってありますよね。「相手を傷つけたらどうしよう」「もし失言してしまったら……」と思うと不安になって、「ありのままでいられない」なんて苦しむこともあるかもしれません。そんなときに周りから「もっと本音で話しなよ」なんて言われたら戸惑ってしまうことでしょう。そんな「素を出せない」と悩んでいる女性が多いようです。
そこでここでは「ありのまま」の呪縛にとらわれている女子に迫ってみました!
「ありのままになれない」という女子の意見
・「人見知りなせいか気を遣ってしまう。そうすることで逆に気を遣われてしまうという負のループ」(27歳/IT)
・「なかなか人前で素を出せずに、人と壁を感じることがある。上手にコミュニケーションをとっている人が羨ましい」(25歳/事務)
▽ どんな部分に「ありのままでない」と感じるのか聞いたところ、必要以上に相手に気遣ってしまうという悩みが多いようでした。その気遣いの原因は「ケンカになりたくない」「嫌われたくない」「拒絶されたくない」といった恐怖から見出されているようです。
「気遣い」に含まれる2種類の気持ち
実は「気遣い」には2つのものが込められているそうです。ひとつは「相手を思いやるがゆえの気遣い」そしてもうひとつは「嫌われたくない・面倒ごとにしたくないがゆえの自己防衛」です。
たいていどちらもバランスよく含まれていますが、思いやりの面での気遣いが多いと「やさしさ」、そして自己防衛が勝ってしまうとそれは「臆病」になります。気遣いのベクトルが相手へ向かっているのか、自分へ向かっているのかで大きく違いますね。
「ありのまま=気遣いをしない」ではない
とはいえ、いくらありのままでいたいからといって「気遣いをせずに何事も腹を割って本音を話せ」というのは間違いです。それは相手に対して思いやりがなく乱暴なこと。自分のことしか考えていない自分勝手な言動ともいえます。
「ありのままでいられない」「気疲れしてしまう」という人は、自分の気持ちが見えていないだけで、コミュニケーション能力がないわけではありません。
「自分の好きだと思う自分」を演じることは大切
「ありのまま」でいるために大事なことは、「相手から見た自分」ではなく「自分から見た自分」のその行為や言動が好きか嫌いかにかかっています。好きな自分でいるために、あえて我慢することも必要だし、演じることも大切です。過去に美輪明宏さんがこんなことを言っていました。
「“ありのままの私を受け入れて”なんていう女はムシがいいのよ。(中略)例えば畑の大根だって、引き抜いて、泥を落として、皮をむいて、千切りにするなりして、お皿に盛って“はい召し上がれ”って、それで美味しく受け入れられるんでしょう。泥だらけの大根を突き出してさあ食えって、失礼だと思わない?」
その通りではないでしょうか? ありのままの自分でいられないと悩んでいる人は「自分を好きな自分でいること」を心掛けてみてくださいね。
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