キレイごとじゃなかった……!? 「見返りを求めない愛情」こそホンモノであるといわれる理由
「見返りを求めない愛情? そんなのあるわけないじゃん」って思うこともありますよね。誕生日にプレゼントをすれば、自分のときにもお返しがほしいし、相手に恩を売ったら仇で返してなんてほしくない。なんといっても私たちは生身の人間です。神さまではないのだし、与えたからにはお返しを求めたり、相手になにかをしてあげたぶんなにかをしてほしいと望んでしまうこともあるでしょう。
そうしてついつい、自分はこんなにしてあげたのに相手はしてくれないと不満を覚え、怒ったり文句を言ったりしてしまうものです。でもその自己犠牲マインド、本当に愛情でしょうか?
与えているようで実はもらっている
親が子どもに無償の愛をささげるのは、ほかでもない親だからですよね。赤ちゃんが親を手伝ってくれるわけでなければ、赤ちゃんが親にものを買ってくれるわけでもありません。むしろその逆で、手がかかるしお金もかかる。自分の時間もなくなるし、毎日育児で疲れ果ててしまいます。それでも親はやっぱり子どもが産まれてきてくれたことに感謝し、存在を喜びながら、めいっぱいの愛情を注ぎこみます。「自分が耐えれば子どもが幸せになれる」という自己犠牲精神からでは、こんなにしんどいことをできるはずがありません。
これは、ひたすら自分が与え続けているわけではなく「相手のためにしてあげたい」という気持ちを相手からもらっているからこそできるのです。そう思えるのは相手に対して「感謝」や「愛情」があってこそ。自分を満たすことや見返りを求めているようではなかなかこうはいきません。
信じる強さを相手からもらっている
恋愛でいうと、お互いに会えない時間に不安や心配になることはつきものです。かといって、四六時中一緒の時間をすごすわけにもいかず、またお互いに依存しあう関係もいいものだとはいえません。お互いが自立した生活のなかで恋愛をするということは、「信じること」はどうしても必要になります。信じることに根拠はありません。「この人だから」という理由でしかないのです。
だから「信じているのに裏切られた」は間違い。信じたのはあなた。そして「信じる強さを相手からはもらっていた」のも事実です。
支える思いやりを相手からもらっている
相手を支えるということは、「辛いときや傷ついたときにいつでも戻ってこれる場所を用意しておく」ということ。もっといえば「ここで待っているから安心して世に出て行ってください」というスタンスをとれるということ。
支える行為は、「この人を支えたい」という思いやりの気持ちや心のゆとりをもらっているということです。お金や生活といった面だけでなく、ただなんとなくの気持ちでは「支える」ことなんてできません。
総じて人と人との関係を深く築きあげていくためには愛は大きそうですね。恋愛は「愛する気持ちを相手からもらっている」もの。そう考えたら、相手になにかしてもらえないことに不満を持つのはエゴも含まれているのかもしれませんね。