「恋」する気持ちから始まって「愛」になって気づくこと
恋が始まる瞬間は、爆弾が爆発するときに似ていると思います。爆発した瞬間飛び散る破片が、心の隅々に分散し侵食していくような。だから恋をすると周りが見えなくなって、足が宙を浮いているような気持ちになり、フワフワした感覚が心地よくて「彼が好き」って口に出すだけで気分はhighになるのです。
皆さんは「恋」と「愛」の違いを感じたことはありますか? 初めから「愛」だったという二人はいないと思います。皆さん必ず「恋」からスタートするのです。
今回は「恋が愛になって分かること」と言うお話をしたいと思います。
恋が愛になって感じること
恋をしているときって、なぜあんなにも楽しいモノなのでしょうか。連絡がある日と、無い日の心の天気の違いや、デート前日の入念なイメージトレーニングなど。彼に関する全ての事がキラキラして、浮足立っている自分に「足下救われるよ!」と喝を入れても、切なさも不安も全てが「恋」のスパイスになっている気がします。
恋をしている期間は、きっと自分自身で彼の存在を育んでいくのだと思います。もしかしたら自分7割、彼3割の割合で些細なことも映画のヒロインのように感じている気がします。「恋に恋している」という言葉がある通り、恋はフワフワした心に薄いピンクのベールを被せているのです。
そのため「恋は盲目」という言葉も存在するのかもしれません。そして「愛は盲目」という言葉がないのは、きっと愛は反対に心のベールを取り去り、自分の心ではなく彼の心を重要視していくからです。
自分のことではなく、彼にとって何が最良なのか? という思いが増していく。その思いが強くなるのは、恋じゃなくなったときだと思います。
恋が愛になって見えるモノ
恋をしているときに見える景色は、全てが色鮮やかに感じますよね。彼と一緒に居るだけで、その空間は素晴らしい場所になるのです。でも恋をしているときに感じる思いは少し自分よがりなものが多いように思います。
「連絡して!」とか「会いたい」は、好きな相手なら必ず思う気持ちです。じゃあ、なぜ連絡が欲しいのか? なぜ会いたいのか? と考えたとき、「自分が満たされるから」という答えにしか辿り着きません。好き同士なら当たり前の感情かもしれませんが、極論を言えば「自分のため」なのかもしれませんね。
ですが、彼もあなたを好きなら時間を作ってでも会いに来てくれるだろうし、間を見て連絡をくれるはずです。
そうしてお互いの思いを育んでいくのだと思います。恋をしている時に見えるモノは、自分がどうしたいかという景色ばかりです。
そして愛になった時に見えるモノは、彼はどうしたいのか? という景色に変化していくのだと思います。
恋愛には、一人一人のオリジナリティ溢れる物語があります。好きなのに離れなきゃいけない恋愛、悲しみを乗り越えてやっと繋がった恋愛などさまざまです。そんな恋愛の中、大好きな彼の幸せを一番に願うのは自分でありたいものですよね。
「愛する人には幸せになってほしい。つらい事や悲しいことは、なるべくおこらないでほしい。たくさん、笑っていてほしい。たとえ隣にいるのが私でなくても、あなたにはずっと幸せでいてほしい。」
恋が愛になったときに感じる想いだと、筆者は思います。