女の変遷! 「モテ」を意識する20代、「痛い」を意識する30代
20代、30代と年を重ねていくうちに、女性は容姿とともに好みや考えなども変化していきます。おもに若さという武器で勝負ができた20代と、経験から得た知恵で勝負にのぞめる30代といったところでしょうか。
今回は、そんな変化する状況のなかで、それぞれの世代が女として意識するものの違いについてお話したいと思います。
若さという「イマ」に、女として得たい「モテ」という称号
女という生き物は、若いうちからすでに女の賞味期限やら女としての旬について考えをめぐらせているものです。若さという限られた時間が自分たちにとってどういう価値のあるものなのかを常に意識しています。その限られた「イマ」のなかで、自分を評価する物差しのひとつが「モテ」であり、冷凍保存などできない今のこの若さでしか得られない表彰状のようなものかもしれません。年を重ねてみれば、若さが邪魔だったと思うときもあればせいぜい若さで得られるものなんて大きな価値があるものではなかった、と感じることもあります。
しかし、「若い女」と評されるうちにそれらを有効活用したい! と感じるのも正直な気持ちであり、モテるための努力など年を重ねた女性のそれに比べたらなんとも簡単で、シンプルなものであったりするのです。女としての若さの称号が、「仕事がデキる」とか「才能がある」ではなくやっぱり「モテ」にむいてしまうのは、女としての本能そのものをあらわしているのでしょうか。
30代女性の「痛い」という言葉への自意識
もう若いとはいわれなくなった30代女性にとっても「モテ」というものは気になる言葉であり、まだまだ手にしていたい称号です。しかしそれには20代の頃とはアプローチを変えなければなりません。なぜならば、20代丸出しのような振る舞いではまわりからこうささやかれるからです……「あの人、痛いよね~」と。流行りのメイクもファッションも、露出のある服装も男性への媚びも、若いから可愛いと許されそこには大きな違和感などなかったはずでした。しかし30代をむかえてそれらをおこなってしまえば、ただならぬ違和感を感じるか、もしくは客観性など放りなげた自己満足を感じるかのどちらかでしょう。
個人的には、「一生ガール」も貫けばかっこいいとは思いますが、多くの女性たちは冷静に今後の方向性を探るわけで、そこには「痛い」と思われたくないという自意識が働くのかもしれません。方向性を探るうちに、30代からガール道を突きすすむことを選択することだってあるでしょうし、「女は30代からよ!」といわんばかりに、よりいっそう美容活動にはげむ……なんてことになるかもしれません。それにしても痛い女といわれずに年を重ねても女を楽しむのは一種の高等技術だからこそ、30代女性の自意識が無駄に働くことになるのかもしれません。