マジョリティに合わない価値観や考え方を持っている人の無限の可能性
マジョリティ=多数派、と呼ばれる価値観や考え方を持っている人は、生きやすさを感じやすいでしょう。ですが、世の中にはマイノリティという少数派の考え方や価値観を持っている人も存在します。その大半は社会から“変わり者”のレッテルを貼られ、頓挫されてきました。しかし近頃思うのは、このマイノリティこそ、世の中の当たり前とされる価値観や考え方を変化させてきたのではないかということです。そこで今回は、マイノリティとして生きる人の持つ無限の可能性について書きました。
当たり前が当たり前でなくなったときに強い
多数派に所属していれば、現時点では生きづらさを感じることはあまりありません。人間は大昔から群れで生きてきたため、安心感や共感を日々得ることができるのです。でも、社会の常識が覆されるような出来事が起こったとき、自分の考え方や価値観が確立されていないと、怒涛に迷うことになります。人類の長い歴史を見ていると、社会の当たり前が当たり前でなくなるような出来事が何度も起こっているとわかるはずです。そんなときに、真の強さを発揮するのは、マイノリティの人たちなのではないでしょうか? マイノリティには、より豊かな人生を歩むための価値観や考え方を提案し、新しい社会通念を築ける可能性がある気がします。
マイノリティは良くも悪くも注目される存在だからこそ可能性がある
マジョリティであれば、それほど他人から意識されることはありません。今の世の中で当たり前とされることを粛々とこなし、生きているため目立たないのです。ですが、マイノリティは違います。どこに居ても良くも悪くも目立ってしまい、周囲の“気になる人”もしくは“何となく目障りな存在”になってしまいがち。マイノリティからしたら、いい迷惑なのですが、どこにいても批判の対象になることは避けられないのです。それがマイノリティとして生きる運命なのかもしれません。
しかし、ガリレオの「地球は回っている」のように、周りが当たり前としている事柄を覆すような発言と真実を提示できるのはマイノリティのみ。マイノリティは良くも悪くも目立つ存在だからこそ、人にはない視線で物事の真実を見極め、周りに強い影響を及ぼす発言や行動をもって、偉業を成し遂げられる可能性があるのではないかと思います。
人生を芸術に例えると見えてくること
筆者は、人生はその人の作品だと思っています。世界の有名画家の絵を見ていると、その人の生き様や人生観などがすべて凝縮されていて、魂の叫び=芸術だと思えるのです。それは何も有名な画家に限ることなく、普通の生活を送っている人たちにも言えるでしょう。人生をどのような作品に仕上げたいのか? そういう視点で物事を見ていくと、マジョリティに属する人でも、考え方や価値観がガラリと変わることがあると思います。後世に残るような人生という作品を生み出すことができなかったとしても、自分に正直でありたい、と深いところでは誰もが思っているのではないでしょうか。そして、その正直な気持ちが、マジョリティな価値観や考え方と違うのは、自然なことです。自分の個性を打ち出していくには、勇気が必要。でも、批判を恐れず、自分の個性を打ち出していくことこそ、人生の可能性を大きく広げる第一歩になるのではないかと思います。