「私って偽善者かも…」と気付いた時にどうするのが正解?

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宮野茉莉子

Written by:

2013.09.21.Sat

「私って偽善者かもしれない」と気付き、途中で行動を止めたことがありませんか。
例えば電車で老人に席を譲る際に、「周囲の人に非常識だと思われたくないから」「席を譲ることができる優しい女性だと見られたいから」という気持ちで席を譲る場合、これを“偽善者”と言います。つまり本来の目的(他者のため)とは違い、自己満足のために善い行いをすることですね。
「偽善だ」と気付くと、偽善者な自分に嫌気がさし、行動自体を止めてしまう人も少なくないでしょう。でもそれが本当に正しいかと言えば、そうでもないのです。自分が偽善者だと気が付いた時にどうするのが1番良いか、今回は考えてみましょう。

「その行動で何が変わるのか?」を比較して

「自分は偽善者だ!」と気が付いた時に真っ先に考えべきは、「その行動によって何が変わるか?」を考えることです。
例えば上記例の場合、偽善者な自分に嫌気が差し、席を譲るのをやめたとしましょう。あなたは席に座れて体は休めますが、どちらが降りるまでずっと気まずいまま。降りたとしても、「結局譲れなかった」という後悔が残ります。目の前の老人も、体は疲れるし、「今時の人は席を譲ってくれない」と傷付く可能性も。
一方で、席を譲ったとしましょう。あなたの体は疲れますし、「偽善者だ」という心の痛みは残りますが、「譲れた」という点では心が晴れます。「ありがとう」と笑顔で言われ、温かい気持ちになるかもしれません(もちろん逆もあり得ます)。譲った後も2人の間にちょっとした緊張感は残りますが、老人はゆったり体を休めることができます。

さて、客観的に見て、どちらが良いでしょうか? 偽善でも行動を起こした方が、あなたにとっても老人にとっても良いですよね。

偽善=「偽(心)+善(行動)」

上の比較で見たように、偽善とは、偽は付いても“善の仲間”。あなたの心が偽なだけで、行動自体は善なのです。
他者からしてみれば、あなたの心の内なんて分かりませんよね。大事なのは「あなたの行動」で、それによって助かる人が1人でもいるのです。それなら偽善でも、行動を起こした方が両者ともにハッピーですよ。

それでも残る「偽善者」という罪意識との付き合い方

行動できたとは言え、「偽善者」という罪意識は残りますよね。この場合、その行動の度に自分の心にこう聞いてみましょう。

・自己満足だけでなく、相手の満足も望めたか?
・相手が笑顔になって嬉しく感じたか?
・行動してみて、自分の利益以外の面でプラスの気持ちになれたか?

少しでも「相手のため」を思えた心があれば、それでOK。そもそもそう簡単には、100%の善人にはなれません。誰しも1%は自分の都合や利益を考えてしまうもの。
偽善で良いので、まずは行動を。あなたに向けられる笑顔や感謝の言葉が増えていくほど、あなたの顔も愛想笑いから本物の笑顔に、偽善者から善人に少しずつ近づくことができます。偽善的な気持ちも不思議と消えていくものですから、本当に大切なことを見据えて行動していきましょう。

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記事を書いたのはこの人

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宮野茉莉子

84年生まれの哲学ライター。東京女子大学哲学科卒業。野村證券を退職後、2011年よりライターへ。主に生き方や働き方について、哲学を交えた本質を探る記事を執筆。他、子育て、夫婦、FPとしてマネーなど、6媒体で執筆中。愛雑誌は『PRESIDENT』。現在一男児子育て中。
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