実親の子育てと自分の子育てを比べてみる
「子育ては自分育て」と言われるように、子育てを始めて気付いたのが、自分と向き合う機会の多さ。実はそれと同じくらい、「自分の両親」とも向き合っていることに最近気付きました。
いざ自分が「育てる側」に立つと、自分の両親たちの育て方や性格も、よく見えてくるのです。
鵜呑みにする派vs反面教師にする派
周囲を見ると、「自分の親がしたまま同じように育てる」派もいれば、「親を反面教師にして育てる」派がいます。
たとえばイクメンも、自分の父親が家事育児に参加しなかったのをみて「自分も参加しないのが当たり前」と思う人もいれば、母親の苦労を目にしてきて「自分は手伝う」人もいます。実はここで不思議なのが、前者の場合は大抵良き親を持ち、後者は大抵問題のある親を持っている点。
自分自身は「良き親でありたい」と思うのですが、良き親でばかりいても、子どもは親の考えを何でも鵜呑みにしてしまいます。逆に親に問題があれば、たとえば「自分は母の苦労を見てきた→母がストレスや疲れを抱えると、ピリピリしていて子どもの自分も嫌だった→子どもに嫌な思いをさせないためにも、自分も妻の家事育児を手伝おう」と考えます。
筆者は鵜呑み半分、反面教師半分といったところですが、100%鵜呑みという人もなかにはいます。とはいえ、子育て法も時代により移り変わるもの。「自分に落とし込んで考える機会を作るには、ちょっとくらい問題のある親でちょうどいいのかな」と、少し気がラクになりました。
必ず出てくる「傷」との向き合い方
時には、傷付くこともあります。「あの時こんな言葉をかけてほしかったのに」「ただ抱きしめてくれるだけで良かったのに」なんて、子どもの頃の気持ちを思い出しては、シンミリしてしまいますよね。
ただそれを親に求めても、改めて「無理だ」ということにも気付きます。子どもがいくら傷付いても、それが親の性格で、親の愛情表現の仕方。親は「万能の神」ではなく、感情の起伏も激しく、偏見も抱けば、自己中心的なところもある。「そう、人間だったんだ」ということに、改めて気付かされます。
諦めるというよりは、「これが親の性格で、これが精一杯なんだ」と受け止める。それが過去の傷と向き合うのには1番だとも気付きました。なんてことはない、自分も知らぬ間に同じ思いを、子どもにさせていくわけです。
こう考えると子育ては、ほんとうに自分を育てる良い機会だと思います。皆さんも、改めて自分の親との向き合ってみませんか?