都合のいい女になっても「彼が幸せなら私はいいの」と言いきかせる、キレイゴト信者になってしまうわけ

2015.07.19

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浮気をされたすえに都合のいい女としてのポジションに転落、いまだに女遊びを続ける彼のことを愛し続けている知人の女性がいます。当然のごとく「そんなろくでもない男と別れたほうがいい」とまわりは説得するのですが、彼女は「それでも好きなの」の一点張り。さらに「私は彼が幸せならなんでもいい。私になにをしてくれなくてもいいし、望んでないの。あの人が幸せでいてくれれば……」とうっとりとした表情で語るので、思わず「お前は牧師か!」と突っこみたくなりました。
相手の幸せを願うことで、自分の寂しさに折りあいをつける。これって、わりと女性に多くみられる傾向ではないでしょうか。彼女たちは自覚なきままに、ダメンズの餌食となり時間とお金を費やすのです。客観的に見ると彼から大事にされていないのに、その現実を直視できない弱さから「相手の幸せを願っている」というスタンス。みなさんも大丈夫ですか?


嫌いな自分から目をそむけたいから

「私の幸せより、彼が幸せになってほしい……」という言葉はとてもきこえがよく、ときには純愛のようにも感じますよね。みずからを犠牲にし、ひたむきに相手の幸せを望む……慈愛に満ちた発言にもとれますが、自分の幸せを無理やり二の次に位置づけようとする人はとても危険です。なぜならそれは「嫌いな自分から目をそむけるための言いわけ」だから。
他人の幸せを願うことはとても気持ちがいいものです。自分を思うことよりもずっと心にゆとりを感じ、自分がいい人にでもなったかのような錯覚をします。そうして「いい人モード」になることで、嫌いな自分から目をそらすことができます。
とはいえその感情はまやかし。ニセモノでしかありません。本当に相手の幸せを願える人は、けっして自分をないがしろにはしません。相手の痛みや寂しさに気づき、自分を雑に扱う人や、都合よく扱う相手の幸せを無責任に願うのではなく、具体的に解消しようと行動します。もちろんその行動のなかには相手を叱ったり自分の意思を主張するといったこともふくまれます。相手に都合よく扱われながら、相手の幸せを願うという行為は、「幸せを願う」という行為によって自分に価値を見出そうとしているだけ。つまり相手に依存しているのと同じことです。

現実から逃げたいから

自分を大切に扱ってくれない、もしくは絶対に自分に振り向いてくれないであろう相手の幸せを願い続けることは、現実と向き合えていないことのあらわれです。「幸せを願う」という、祈るだけのお手軽な行為で、彼から受け入れてもらえていないという現実を隠そうとしています。彼女たちは、自分が都合のいい女とされていることなど本当はわかっているのです。ただ、その現実を受け入れられずにいるので、「彼の幸せを願う」という姿勢をとります。心の底では「愛してほしい認めてほしいわかってほしい」という気持ちで渦巻き、それが叶わないことを知っています。
いくら他人の幸せを願う姿勢をとっていても、現実と向き合う勇気を持たなくては自分自身に幸せはおとずれません。お手軽に気持ちいい場所に身をおいて現実や自分から逃れ続けるよりも、自立できる強さを持ちましょう。

2015.07.19

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記事を書いたのはこの人

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Written by 小林リズム

91年生まれのライター/コラムニスト。 IT系メディアの広告や編集者を経てフリーライターに転身。 育児系インフルエンサーとして「ゆるい育児」に関する話題を発信中。 コラムでは婚活・ママ・子育てのジャンルをメインに執筆。 ブログ:http://kobayashike.com/ インスタグラム:https://www.instagram.com/kobayashirizumu/ note:https://note.mu/uchidareiko