ワンクール恋愛女の結婚道Vol.12 愛されたい欲が「愛したい欲」に変わった理由
恋愛がワンクール(3か月)しか続いたことがない、恋愛コンプレックスの塊だった筆者。26歳のときに出会った男性と1年半の交際を経て結婚しました。結婚・恋愛に悩む方のサプリメントになるコラムをお届けします。
この連載を持たせていただき早1年。同時に夫との付き合いは4年目に突入しました。この4年という年月はひとつの区切りであり、始まりでもあると最近読んだ本で知りました。
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四年で人間の恋愛って終わるんですってね。アメリカの女性学者が最近出した説、知ってます? 四年で恋愛が終わって、たいていの人は子共とか社会的な状況でクリアしていくんだけど、恋心はそのまま続かないということを、DNAが証明してるんですって。
――『メン アット ワーク 山田詠美 対談集』(山田詠美)P.9~10より引用
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「4年で恋愛終了説」といったところでしょうか。「3年で恋心冷める説」を聞くことが多いですが、ほぼ同じようなものだと捉えておきます。個人差もあるのでしょう。私はもっと早くに恋を終えていました。
愛とは包容すること
恋が愛に変わると同時に、愛されるよりも愛したい感覚が生まれていました。私の尊敬する女流作家、故・宇野千代さんもこう記しています。
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相手を愛するということは、いつでも、自分を虚しゅうして、ただただ、相手だけを愛することです。いつでも、自分の方はすっかり忘れて了(しま)って、ただただ、相手だけを愛する。
――『幸福は幸福を呼ぶ』(宇野 千代)P.154より引用
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(自分が主体となって)愛したい――そう思える相手が夫です(もちろん相手も自分を愛してくれるとうれしいですが、と補足しておきます)。
愛はいろいろな要素を持っています。大きくは「(相手を)包容すること」の意味。これには「信じること」「認めること」「応援すること」「守ること」などが含まれる、と考えています。私は夫という人間を信じて、彼のやりたいことを応援し、彼をいつでも受け入れる体制でいたいと思うのです。
「愛されたい願望」は自信のなさの裏返し
長い間、私は「愛されたい欲」の強い人間でした。付き合う相手(※1)や特別な関係にある相手に対して、「相手→私への恋情」>「私→相手への恋情」であってほしいと望んでいました。
(※1 とはいえ3ヶ月未満で終わる恋愛だったので、厳密にいうと愛ではなく恋といえます。)
根底には、愛されていれば「相手を引き止めておける」「振られて傷つくことはない」といった、自己中心的な考え方がありました。
自分かわいさのあまり、自分を守りたくて仕方がなかったし、自分が幸せになりたくて必死だった私。今振り返ると、みっともないし情けないと思います。
自信のなさからくる不安が、愛されたい欲を大きくしていました。必死に愛を求めるあまり、身勝手に相手を振り回し、痛々しい女になってしまう。その滑稽さに気づいていなかったのです。
信頼してくれる相手を愛さずにはいられない
夫と出会ってから、私は分厚い「愛されたい殻」を破り、外の世界にふれることができました。むしろ「愛したい」と思える側にいけたのです。
なぜ、ここまで変わることができたのか。そう考えたときに一番最初に浮かんだのは、夫が私に全幅の信頼を寄せてくれているということでした。
信頼とは字面の通り「信じて頼ること」を表します。常に私を信じて頼ってくれる相手を、愛さずにいられるでしょうか。まず、できないと思います。愛して、信じて、認めて、守りたいと思うのです。
どちらがどれくらい相手を愛しているか――昔バカみたいに取り憑かれていた「愛の分量問題」は、今ではどうでもいいと思っています。ただ愛したいから愛する、そのシンプルな考え方を持ち続けたい。
相手の幸せを望むのが愛
とはいえ、独りよがりな愛は、本当の愛ではないと考えています。相手の幸せを望むのが真の愛。それは「(自分の手で)相手を幸せにする」のとは違います。
「君を幸せにしてあげたい」のようなプロポーズの決まり文句(?)は、おこがましいのではないかと感じます。何をしようと自分の力で相手を幸せにできない可能性もあり得る、とは想像できないのかと。
執着しないことも愛の形です。極論ですが、もし夫が私と一緒にいて幸せではなくなったならば、別の誰かと一緒にいることに幸せを感じるのであれば、私には去るほかありません。
悲しくて寂しくて、想像したくはないですが、世の中には仕方のないことだってあります。「愛している」という理由で、相手を縛ることなどできないし、私にそんな権利はないと考えています。
ベースにあるのは、愛する相手が幸福であってほしいという思いだけ。ここまでつらつらと書いてきましたが、愛の形は最終的には人それぞれである、という結論になるようにも思います。愛とは何なのか、愛する人と議論し合うのも一興かもしれません。