正しければ良いわけじゃない! 「子どもへの正論」の副作用と伝え方

2014.09.10

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「お友達を叩かないで」「歯磨きしないと虫歯になるよ」「こんな時間まで起きてたら明日眠くて困るよ」どれも正論で、周囲の人も聞いていて間違いだとは思わない言葉。
3歳児の母である筆者も、「子どものために良かれ」と思い、日々正論を口にします。言う方としては、「母としてシッカリやっている感」さえ感じることのできる正論。ただ正論は正しいだけではなく、重い副作用もあるのです。


「気」で生きる、私たち

普段私たちは、「気分」で動いていることが少なくありません。なんとなく気が乗らない、やる気が出ない、虫が好かない、弱気になる、ちょっとした気の迷いが生じる、気が弛む……。大人でも気分次第で、言動や感情を左右されるもの。相手に言われた言葉も、気分次第でプラスに受け止めたり、マイナスに受け止めたりします。
人間は理性的な生き物ではありますが、それは社会・対人関係・倫理など人の目によるものが主。プライベートでは、気分主体で生きている人が多いでしょう。社会性・対人関係・倫理感が築かれていない子どもなら、尚更のことです。

正論の副作用

子どもは大人よりも、気分で生きています。気が乗らない日もあれば、なんとなく反抗したい日、ただ楽しくて何を言われても遊び続ける日もあります。お友達とトラブルがあって元気が出ない日や、ママに甘えたいけど甘えられなくて悲しい日もあるでしょう。
そこで親が正論をかざし、子どもを責め立てたらどうでしょう? 「だって気が乗らなかったから」と、子どもは流暢に説明できません。そもそも「気分次第だから仕方ない」とも思えません。子にとって親は絶対ですから、「自分が悪い」と自分を責め、傷付くことでしょう。
正論は時に、人を傷付け、罪悪感や自己否定を抱かせるもの。思えば筆者も、そんなつもりはなかったのに、ちょっとした気の弛みで人とのいさかいが起こった記憶があります。

「ただこうしたい」のが子ども

子どもにも、子どもなりの考えや、気持ち、気分があります。子どもなりに「こうしようと思ってやった」「こうしたかった」「ただ、こんな気分だった」というものがあるのです。
正論を言いそうになったら、まず子どもの考えと気持ちを推測したり、実際に子どもに聞いてみましょう。理由もなく「ただこうしたかった」というのも、子どもにはよくあります。
一旦子どもの感情や考えを受け入れると、子どもも「聞く耳」を持ちます。とはいえ、何十回と言われ、自分でも体験してようやく納得するのが子ども。1回言えば分かるのではなく、「100回のうちの1回を言った」と最初から思っておくと、親も楽です。

親としては、一つのことを何十回と言い聞かせるのは一苦労ですよね。ただこの苦労に付き合い続けられるのは、親しかいません。気持ちを聞いて、相談して、励ましながら向き合っていく……この積み重ねが、親子の信頼も深くするでしょう。

2014.09.10

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記事を書いたのはこの人

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Written by 宮野茉莉子

84年生まれの哲学ライター。東京女子大学哲学科卒業。野村證券を退職後、2011年よりライターへ。主に生き方や働き方について、哲学を交えた本質を探る記事を執筆。他、子育て、夫婦、FPとしてマネーなど、6媒体で執筆中。愛雑誌は『PRESIDENT』。現在一男児子育て中。 Facebook→https://www.facebook.com/miyano0928 blog→http://blog.livedoor.jp/miyano0928/