47歳でメジャーデビュー!遅咲きすぎる美魔女シンガー・吉開りりぃさんに迫る

どんな業界でもパッと咲くなら、若いタイミングに越したことはありません。ところが47歳の年でメジャーデビューを果たした美しき女性シンガーがいます。彼女の名は吉開りりぃ。2012年秋、彼女のライブへおじゃましたときに、その世界に吸い込まれるかのような衝撃を受けたのです。


人並みはずれた歌唱力や美貌はもちろん、人生には深い悲しみも喜びもあることを、歌を通してまっすぐに伝えてくれたりりぃさん。後日、りりぃさんに個別に時間をいただきました。どうして今になってデビューなのか。それまでどんな人生を歩んできたのか。彼女のことを少しでもひも解きたくなった私がいました。

幼い頃からいつも隣にあった音楽

音楽を始めたきっかけは何でしたか?

父の影響で幼い頃から50~60年代の洋楽にふれていました。キャロル・キング(アメリカの女性シンガーソングライター)に憧れていて「I Feel The Earth Move」という曲が特に好きでした。
歌うことが大好きだったので、よく学芸会でも主役を担当していました。みんな、手をあげないんですよ(笑)。アポロ11号の月面着陸をテーマにした劇で、エドウィン・オルドリン飛行士の役を演じたり。小4の頃、友人に誘われて、北九州市少年少女合唱団のオーディションを受けました。私だけ合格してしまい、若干の気まずさもありましたが、気持ちを切り替えて、土日にクラシカルな声楽をみっちり学んでいました。

音楽もできて美しくて……当時からさぞかし人気者だったでしょう?

いや、全然。小5の頃、悪戯っ子に「吉開がオマエのこと好きだって~」みたいに、勝手に告白されたんです。でも、その相手にイヤな顔をされたことが悲しくて。当時の私は外見に過度なコンプレックスを持っていました。悩みすぎて整形をテーマにした漫画を描いたこともあります(笑)。
所属していた合唱団で、アイドル級にかわいい子は大切にされるんだなということを、子どもながらに肌で感じ取っていたということもその背景にあります。告白事件と合唱団での体験もあって「女はかわいくないとダメなんだ」と悟りました。そこでコンプレックスという逆境をプラスに変えようと、自分磨きを始めました。ボーイッシュななかに、かわいいものを取り入れて組み合わせたり、工夫していましたね。13歳くらいで自分が女であることを強く意識するようになっていたと思います。

いろいろな意味で変化した中高生時代は、どんな音楽活動をしていましたか?

小4から通っていた合唱団は中1でやめました。その頃から不良っぽい道を歩み始めたんです。もちろん制服のスカートは長めでいわゆる「ヤンキー」テイストでした(笑)。そこへ女子っぽいアクセントを取り入れていましたね。
そんなときに兄の影響で目覚めたのがロック。音楽好きな友だちの影響もあって当時の仲間とはじめたバンドが、それまでとは違う音楽活動の一歩だったのかもしれません。始めはキーボードの担当でしたが、とあるライブハウスのオーナーにボーカルを勧められて、それをきっかけにボーカルも担当するようになりました。

苦しみながらも前に進み続けた20代・30代

バンドを始めたことで音楽の場はどう広がっていきましたか?

歩行者天国で演奏をしたこともあります。いわゆる「ホコ天」ですね。生活全般にフィフティーズ(50年代の音楽、カルチャー)の要素を取り入れていて、常に音楽は身近なところにありました。でも、また一時期音楽と離れたんです。高校卒業後はレジ打ちの仕事を始めました。でもすぐに辞めて今度はフルーツパーラーでの接客……仕事が続かなかったんです。そんなとき友達からライブハウスに行こうと誘われて、たまたま行ったのが小倉のケントス(生演奏の楽しめる古き良きライブハウスで日本全国に展開)でした。21歳の頃です。
そのときに「歌わないか」とスカウトされたことが、ケントスで歌い始めるようになったきっかけでした。博多のケントスがシンガーとしてのキャリアの出発点です。その後、23歳の時に、はじめてケントスに行った時に素敵だなと思ったボーカリストの男性と結婚することになり、一度、ケントスを離れることになりました。

いつも音楽にふれていたりりぃさんが、音楽をやめることに抵抗はなかったのですか?

やはりモヤモヤはしていましたね……。そこで25歳のときに歌の仕事を再開しました。ただ夫の音楽活動があまり上手くいっていなかったこともあり、いつしかお互いの心は離れていってしまい、一緒にいても上手くいかないので彼とは離婚しました。娘は小倉の両親に預かってもらいました。当時は仕事の関係で仙台に1年いて、27歳で東京に出てきたんです。そこからずっと東京で歌い続けていました。

上京後はどんな日々を送っていましたか?

東京に来てからは六本木、新宿、銀座などのケントスで歌っていました。デビューの打診もあったのですが、ずっとケントスで歌い続けていました。ただ、30代は精神的にツラい時期もありました。一番大きな出来事は母の死ですね。娘のことなど、それまで迷惑をかけてばっかりの母でしたから。そのせいか私自身、34歳でうつになってしまい、薬に頼るきる生活を続けていた時期もありました。
今となってはびっくりしてしまうのですが、当時のケントスでのライブでは1度も笑っていないんです。というより笑うことができなかった。ケントスは36歳でやめました。その頃、小倉の両親から娘を引き取り、一緒に暮らすようになりましたが、不規則な生活になりがちな仕事を続けながらでは難しい事も多くて、また娘とは離れて暮らす事になりました。それもでも私にはこれしかないという思いで、ライブハウスでバンドやソロシンガーとして活動を続けていました。

デビューについて教えてください。

2010年になって再びデビューの話をいただきました。私だけが表現できる音楽を作りたいと思い、ライブ活動をすべて休止して、制作活動だけに専念しました。ちょうど3年前のことですね。その後の2012年8月8日、ブックリッジ・レコーズより待望のデビュー・シングル「悲恋/数え歌/東京/ごはん」をリリースして、デビューにいたりました。この間、支えて下さった方が大勢いて、感謝しきれないくらいです。

「美しさ」はどこから出てくる?

美を保つためにしていることは?

8時間睡眠を心がけることですね。世界三大美女はたくさん眠ると信じ込んでいます。

お肌のケアはどんなことをしているか?

実は3年前まで無頓着な分野でした……。娘に言われたことがきっかけで、やさしく泡洗顔をして保湿を心がけるようになりました。シンプルです。

スタイルキープのために取り組んでいることは?

見られることを意識することとイメージングです。服選びも大切だと思いますよ。

恋愛力を上げるためにはどうすればいいでしょうか?

いい意味で心にスキを持つことですね。たとえばクルマのハンドルのように。

恋愛したいけれど臆病になっている女子へアドバイスを下さい。

傷付くことを怖がっていても、プラスにもマイナスにもなりません。動いてみないと始まりません。臆病になるのはもったいない。

転職?独立?今の職場で続ける?など、キャリアアップのシーンで揺れている女子へアドバイスを下さい。

悩んでいるなら前に進んだ方がいいでしょう。

20代~30代後半女子へ向けて人生のアドバイスを下さい。

その世代でしかできない、味わえないことに目一杯取り組んでみてください。そうすると40代でまた違った価値観が生まれ、人生を謳歌できるはずですよ。

吉開りりぃ
北九州小倉市出身のシンガー。2012年8月8日、ブックリッジ・レコーズよりデビュー・シングル「悲恋/数え歌/東京/ごはん」をリリース。

2013.01.22

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記事を書いたのはこの人

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Written by 池田 園子(いけだ そのこ)

岡山県出身。中央大学法学部卒業後、楽天、リアルワールドを経てフリー編集者/ライターに。関心のあるテーマは女性の生き方や働き方、性、日本の家族制度など。結婚・離婚を一度経験。11月14日に『はたらく人の結婚しない生き方』を発売。 写真撮影ご協力:青山エリュシオンハウス 撮影者:福谷 真理子